少年の想像力を追え
学校へ行こうと駅に歩みを進めているときに公園を通った。
別に公園を通る必要性はない、数秒早くなる程度だろうか。
死んだ目をしている男子大学生が通って子どもたちに恐怖を与えるリスクのほうがはるかに高い。
しかし、そこを通ったのは男子小学生が二人でswitchをして遊んでいたからである。
なんとも懐かしい光景だった。
そうか、小学生は祝日には休みになるのかと思い出すと同時に自分たちの時代はDSであったなと芋づる式に記憶が引き出されてきた。
DS以外にはどんな遊びをしていただろうか。
レゴブロックが好きだった、指人形が好きだった、ビー玉の音を楽しむのが好きだった…
思い出してみればあの時の遊びのほうが能動的である気がする。
それに対して大学生というのは映画を見たり漫画を読んだり小説を読んだりとかなり受動的に生きている。
正直なところ私はいまだに指人形で遊びたい。
家のリビングを舞台にして、想像力の強さの二乗に比例するように世界が広がっていく。
小説家や漫画家、脚本家というのはこの過去に執着し続けた人間であるように思える。
私も自分の創造の中に世界がある。
電車に乗っているとき、ベッドに入ってから眠りにつくまでの数分、興味のない話を聞いているとき…
いくらでも世界は広がり、創られていく。